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2006年1月

2006年1月31日 (火)

帰国

 機内で座席前の各自のモニターを見れるのは大変便利。だが私のイヤホンが感度が悪くて困ったが、早く取り替えてもらえばよかったと我慢に慣れている身の反省。

 食事は相変わらずまずい。用意していた野菜のスチックがとても役に立つ。ゆで卵とかオニギリは必需品。水はボトルでくれるので十分。成田で夕食をとろうとウインドウを覗いて何もかもがチマチマと飾ってあるので、余り食欲がわかない。結局久し振りのお蕎麦にした。

 羽田発18:45の便が20:00に延期。広島空港が霧のため飛行機の発着不能になり、松山行きの飛行機の調達が出来なくなり、ようやく出る事が分かってほっとした。松山発大洲行きのバスをキャンセルして、最終便の特急電車23:20で大洲に0:15着。松山空港では駅行きのバスが待っているので、あわてないで乗れば15分で駅に到着。通常は大洲行きのバスを予約しておくと、大洲まで1時間で、一人でもOK。

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2006年1月30日 (月)

機上にて

5時起きで7時出発。朝食もゆっくりとって、忘れ物チェックもしっかり、ゆとりの出発。猫のマーリーとマーゴにバイバイ。空港は静か。天候は1,2度で暖かい。飛行機も問題なさそう。
奈美は一週間の休暇をフルに使って私達についきあってくれたので有難かった。出発前にバンクーバーのyenyeeさんに電話が出来た。masatakaさんの仕事の都合でトロントに移るかも。

インディアナポリス空港9:15発 45分で シカゴ着9:00(シカゴtime)

シカゴ発11:00 12時間15分で 成田着15:15(日本time) 

2006_0131_063617AA シカゴは小雪が舞っていたがカナダ上空は良く晴れて視界良好。

左の写真はバンクーバーの北側

2006_0131_080754AA 次はアラスカ山脈

2006_0131_085502AA アンカレッジに近づくところはうねりくねりの筋が面白い。

以前はこんな所に不時着したら命は無いと怖かったが今はなれている。

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2006年1月29日 (日)

帰国準備

荷物発送:日本の国内と同じ宅急便のあるが、容量が小さくて値段が高いので、船便と航空便と2個発送。船便は1ヶ月かかるが20キロ近くで5千円くらい。1週間で着く航空便は10キロくらいで9千円くらい。日本から送るのと殆ど同じだが、日本の方が容量の制限が厳しい。

2個荷物を発送すると、手に持つ荷物は各自小型バッグ1個になる。私はノートパソコンがあるがこれも次からは必要ないことが分っている。ブログを使えば必要なデーターをCDに入れておけば、娘のパソコンで自由に操作できる。このような時代になったことに驚きながら、体力の衰えをカバーできることが私にとっては有難い。

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2006年1月28日 (土)

気候状況:健康管理

2006_0119_034445AA 気候状況:暖冬で1月初めに降った雪は直ぐに解けてしまって春ではないかと思うような陽気。雪景色が懐かしい。

健康状態良好:インフルエンザもはやってはいないが、それでも外出時は帰宅してから、うがい手洗いを励行して風邪もひかず出発できそうだ。

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2006年1月27日 (金)

友人訪問

email_to_mama_001 昨年高齢で死亡したプードル犬と殆ど同じ大型プードル犬を買ったというので見に行った。未だ1歳なのでやんちゃで凄い力で奥さんを引っ張りまわす。

奥さんは乳癌手術の後遺症で右手が不自由だが、馬も飼っていて乗り回すし、犬も彼女が世話をする。この犬はこれから「しつけ教室」に入れるそうだ。オーケストラの後援者で奈美の個人的な支援者でもある。

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2006年1月21日 (土)

新聞から

イラクで死んだ人達を記念して、州議会の外のかべに写真などが張り出されて記

念式をした記事。遺族30人が集まって涙している写真。去年の同じ頃は19人だっ

たがまだまだ増えていくのだろう。悲しみは極に達していると訴えている。

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2006年1月19日 (木)

新聞から

インディアナポリスの小学校の課外授業の記事が

新聞に出ていた。「いじめについて」5,6年生の授業で、

外部からいじめを経験している人気のミュージシャン

を講師に、みんなで輪になって座って話し合っている。

アメリカの黄色いスクールバスはおなじみだが、

その中でもいじめがあるそうだ。子供達は両親の離婚で

父親と母親の間を行ったりきたりするスケジュールを

もっている場合も珍しいことではないし、人種問題も

あるし、日本とは違った面でいじめも深刻なのだろう。

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2006年1月17日 (火)

新聞から

1月15日(日)はマーチン・ルーサー・キングの誕生日

なので、一日ずれて16日(月)が記念日の祭日。

非暴力,平和の集会があちこちであった記事。

毎年のことだが、年をおっていつまでも消えない

大きいともし火のようだ。

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2006年1月10日 (火)

私の古里:アメリカの新聞から

 今年の正月の朝日新聞の声欄に「ふるさと」のテーマがあった。
itiroの古里は旧満州の新京、namiは特に無し、などと話していた。

 インディアナポリス新聞の投稿欄に同じように「ふるさと」を書いたものを見つけた。
その町は私達が行ったことのある町のようだ。5,6年前にインディアナ州立公園の深い山々の美しい紅葉を見ての帰り道で、谷の方へ一本の道が伸びているので、何気なく降りて行ってみると、古い屋根つき橋があり、その奥に数件の農家があった。朽ち果てた納屋もあったが、草原の中の農家の庭は池あり、ベンチあり子供の遊び場ありで、おとぎのくにのようだと感動したことを今も良く覚えている。その時に撮った屋根つき橋が、その記事にでている橋と同じなので、話の内容からその村のことのようなので驚いた。
書いた人の年齢60歳くらいだろうか。少しだけ簡単に訳してみる。

 ”私のインディアナ 小さな町の生活の思い出

 私はインディアナの南東の州立公園の近くの谷間にある美しい静かな村で4人兄弟の末っ子として生まれ育った。1950年代は8軒の家があって40人と10匹位犬がいた。一時は23人の子供がスクールバスに乗っていたが、私が1965年に卒業する頃はたった二人きりになっていた。子供時代には蒸気機関車が通っていて、汽車が来ると煤を撒き散らすので、大急ぎで干してある洗濯物を取り込みに走らなければならなかった。父は旅の浮浪者に水や食べ物をあげていたものだが、決してドアを開けてはいけないと云っていた。夏は川で泳いで石を集めたり、ザリガニをとったりした。冬はスケートをして遊んだ。
 今でも、たまにドライブをして遊びに行って、写真を撮ったり、石を集めたりする。今は僅か4軒になって8人住んでいるそうだ。以前にもまして静かで、汽車もめったに通らないし、子供もいない。でも家の裏を流れていた川や汽笛の音も懐かしく、今は無い両親と共に宝物としていつまでも私の素晴らしい想い出の中にある。

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2006年1月 2日 (月)

2006年を迎えて

oshogatsu_2006_001今年も去年と変わらない形で新年を迎えることが出来た。
いつものように日本料理店に注文しておせち料理が並ぶし、お雑煮を作ってお正月気分を味わうことが出来る。

変わったことは、去年は想像もしなかった事として、減量問題。ITIROは10キロ、REIKOは8キロと一応目標を達成して、これからは現状維持。一方NAMIはこれから減量挑戦。戦いは続く。

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